吉方位、凶方位の地図について
九星気学のウェブサイトを見ていると、時折、海外旅行の場合にはメルカトル図法の世界地図ではなく、正距方位図法やランベルト正積方位図法を見ないと正確な方位は分からないと書かれていることがあります。欧州は西ではなく北西、米国は東ではなく北東と考えるべきだと言うものです。正距方位図法は2点間の最短コースの方向と距離を示す図法なので、たしかに短波の国際放送の電波の到来方向などを調べる場合には正距方位図法の地図を使いますが、これは電波が大圏コースという地球の2点間の最短コースを通って来るからです。
これに対して、私が参考にした九星気学の書物では、メルカトル図法を用いると書かれています。
どちらもそれなりに言い分があると思いますが、当サイトではメルカトル図法を支持したいと考えます。
その理由の一つは、九星気学が園田真次郎氏によって大成された大正時代には、海外渡航は船と陸路が圧倒的に主流でした。旅客機が本格的に実用化されたのは1930年代以降です。大圏コースで旅行するという概念は大正時代以前には無かったでしょう。概念に無いものを前提にして占術理論が組み立てられている筈がありません。
日本と欧州、日本と北米などを結ぶ遠距離航空路は、燃料と時間の節約のために大圏コースに近い経路を飛行しますので、大圏コースの方向が正しい方角だとする意見が出てくるのも理解はできますが、航空機でも慣性航法システムなどによって大圏コースの飛行が実用化される1960年代までは、航空用地図もメルカトル図法が主流であったのです。(現在では航空図には大圏コースが直線で表せるランベルト正角円錐図法が用いられています。出典:図解よくわかる航空管制)つまり、大圏コースで方位を考えるようになったのは、所詮九星気学が確立されてから40年も経たあとの話で、九星気学の成立した時代背景の認識に決定的な誤謬があり、論理に無理があります。園田氏が理論を組み立てた頃に前提となっていた知識は間違いだとするなら、そもそも九星気学を唱える根拠が無くなります。
また、ミサイルなどでしたら、確かに打ち上げの時点で最短距離の方向、つまり大圏コースの方向に打ち上げるでしょうが、旅客機は離陸直後からまっすぐに大圏コースを飛行するなどということはありません。
滑走路の方向が大圏コースに合って作られているわけでもないですし、飛行機は離陸したら大きく旋回して滑走路からの直線上から離脱するのが一般的です。つまりその時点で既に大圏コースの方角に向かっていません。
成田から欧州に向かう航空路は、大圏コースならロシアから中国の黒竜江省、内蒙古自治区の上空を経てロシアに向かうことになりますが、実際には佐渡の付近を通過した後は、まず大圏コースよりもかなり北側に進路を取ってハバロフスクに向かいます。そしてハバロフスク付近の上空を通過した後に大圏コースに近い進路を取ります。つまり大圏コース上をまっすぐに飛行して行くわけではありません。
もう一つ、大圏コースで方角を考えるのに無理があると思うのは、実際に飛行機で欧州に行ってみればすぐに分かることなのです。大圏コースに近いコースを通って欧州に近づいた時には、ロシアのムルマンスク付近を経てフィンランド上空を通り、パリやフランクフルトなどに向かうのですが、その時の飛行機の空路は実際に南西方向に向かっています。おそらく旅客機のパイロットでさえも自分がまっすぐに北西に飛んでいるなどと意識はしていないはずです。
飛行機の場合には、ジェット気流などの影響を受けながらも、絶えず所定のコースを飛行するようにコントロールしています。つまりその刹那刹那の正しい方向を目指して飛んでいるわけで、ミサイルのように単に直進しているわけではありません。(実際にはミサイルだって軌道修正はします。)
そう考えると、フィンランド上空からドイツに向かっている時点では、パイロットは北西に直進しているのではなく、南西にコースを取っていると考えているはずです。また、それはパイロットが勘違いをしているわけでもなく、実際に南西方向に飛行しているのです。現実に同じコースとなるフィンランドからパリに向かう飛行機は、南西を目指しているはずです。北西に向かってなどいません。この時点のことを「欧州は北西方向」と決め付ける人々はどう説明するのでしょうか?
短波放送の電波や、打ち上げ時点で定まったコースから一切軌道修正もせずに、ひたすら大圏コースを直進するだけの乗り物であるなら、確かに正距方位図法の方向が正しいかもしれませんが、実際の航空機はそんな飛び方はしていないのです。
また、飛行機で渡航する場合、途中で乗り継ぎがある場合のことを考えて見ましょう。たとえば南回りで欧州に行くとすれば、日本から欧州までの大圏コースとは全く異なったコース、方位となります。繰り返しますが、正距方位図法はあくまでも出発地から目的とまでの最短コースの方向と距離を示すものであって、それ以上のものではないということです。
そもそも、メルカトール図法は「正確な方向が分からない地図」ではありません。たとえば、船でサンフランシスコに向かう時に、絶えずメルカトル図法で得られた方角、つまり常に緯線に対して一定の角度に船を進めれば(等角航法)、きちんとサンフランシスコには着くのです。(それは結果的には大圏コースよりは長い距離になりますし、正距方位図法上は直線ではありませんが。)
しかし航海をする上では、メルカトル図法では2都市間を結ぶ直線と緯線の角度が正しく示されるので、等角航法が主流であった頃にはメルカトル図法が使われていたのです。
グリーンランド、カナダ北部や南極などの高緯度地帯が実際の面積よりもはるかに大きく示される欠点が知られていながらも、メルカトル図法が用いられて来たのには理由があるのです。
ただ、高緯度地帯の形状や面積が著しく実態と離れて表示されるので、最近では世界地図でもメルカトル図法はあまり見かけなくなりました。学校などに掲げられている世界地図の多くはミラー図法ですし、ユーラシア大陸の地図などでは北極中心の正積方位図法などの方が一般的かもしれません。
このため、メルカトル図法を旧式の誤った図法と単純に決め付けている人がいるように感じます。でも、メルカトル図法には等角航路が正しく得られるという優れた特徴があるので、現在でも海図には用いられているのです。「メルカトル図法は旧式の誤った図法」と決め付けるのは、自ら無知を曝け出しているようなものです。
また、あまり知られていないのですが、Google Mapはメルカトル図法なのです。
陸上をドライブする場合のようにミクロ的に正しい方角を得たい場合には、メルカトル図法は正確な方向(等角航路)を示すので、Google Mapはメルカトル図法を採用しているものと思われます。「メルカトル図法は旧式の誤った図法」とGoogleでは考えていないことが明確に示されています。
Yahoo!地図でもメルカトル図法が採用されています。ですから九星気学によって方位取りをする場合にはGoogle MapやYahoo!地図が使えるのです。便利な世の中になったものです。
なお、九星気学のうえでの正確な北の方向は、北極星の方向なのか、磁石の示す磁北なのかという議論も、九星気学のウェブサイトでは良く見かけますが、当サイトでは磁北ではなくGoogle Mapで示されているような地図上の真北を採るべきだと考えます。
なぜなら、磁石による方位測定はあくまでも簡便な手法であるからで、太古から正確な北は磁北ではなく北極星の方向であることは知られていました。磁北と実際の北との偏差は場所によって異なっており、関東地方では約7度、北海道では9度ほどになっています。また偏差は徐々に変化していて1970年代に比べると1度ほど大きくなっています。
このように磁北と実際の真北との偏差があるため、航海の時には羅針盤だけではなく天測をして正しい位置と方向を知るようにしていましたし、海図には羅針盤の偏差が示されてもいます。偏差があることを承知の上で羅針盤が使われているということです。また、現在ではスマートフォンでGPSが使えるため、磁石などよりはるかに正確な真北方向を容易に知ることができます。磁石を持って旅行する必要などありません。
そもそも、偏差が長い年月のうちに変化していき、場所によっても異なるということは、長年の経験論に基づく占術では基準としては採用し難いはずです。そういう意味でも磁北を基準にするという考え方には疑問が持たれます。
また、九星気学では節入りが年や月の区分の基準となっていますが、天保暦が採用された1844年以降は、24節気は太陽の位置を計算し、天球上の太陽の軌道(黄道)を24等分して、24等分された位置を太陽が通過する日を基準とする定気法が用いられています。つまり九星気学では天体の運行を年月日の基準としているのですから、方位の北が天の北極、つまり北極星の方向を基準としていることも自明なのです。磁北に拘りながら、24節気の前提条件に従うのは論理的に破綻しています。
なお、磁北説を採るウェブサイトには、なぜか方位図法を採るべきとするケースが多いのですが、方位図法の正確さに拘る理屈と、あいまいな方角を示すに過ぎない磁北を採る理屈とは論理的に矛盾しているように思えます。大圏コースを正確に飛行する航法は磁石などにはよらず、現代ならGPSや慣性航法などを使います。ですから大圏コースと磁石を組み合わせた議論には、単に奇をてらって、浅薄な知識を元に異説を唱えて、いかにももっともらしく見せかけているのに過ぎないような違和感を抱きます。正距方位図法や磁北を主張するサイトは、その本質的な考え方からしていかがわしいです。一見もっともらしい主張を鵜呑みにせず、気をつけるほうが良いでしょう。
もちろん、最後は皆さんが信じたいものを信じればよいのです。諸説紛々としている中でどちらが正しいかと過度に拘ることもないでしょう。
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